NIHシンドローム

(Not Invented Here syndrome)

 「ここで発明されたものではないから受け入れない」症候群。

 他人や外部の知識を積極的に参照・利用しないで、全て自分で必要とする事象や知識を経験したり、発見しないと気が済まない状態のこと。

 知識や体験・経験を自ら積み上げるという行動は決して悪いことではない。学習という行為はそれなくして内面化できないからである。

 基本的な事項・基礎的な事項についての学習がされていないと、偏差値だけは高いが応用が全く出来ない人間となってしまいがちになる。

 「他人や外部の知識を積極的に参照・利用する。」とは、第一義的には疑似体験するということ。小説の主人公に成り代わって人生を考え、謎を解こうとしている状態に似ている。

 知識や経験は積むべきであり、その成功体験や失敗体験は本人や組織の暗黙知として、信念や企業文化となって昇華される。

 ただその傾向が行き過ぎて、何でも自らが体験し発見したもの以外は信じないという状態になると、同じ試行錯誤や失敗を繰り返すことになりかねず、ビジネス・スピードへの対応が困難となる。

 「過ぎたるは及ばざるが如し。」

 インターネットの世界がそうであるように外部の知識や他人の体験を参照させてもらうことは、疑似体験を終えるという意味で非常に有効である。

 毒を砂糖水のように言いくるめて飲ませたのならばともかくとして、他人の知識を鵜呑みにして失敗した責任は飲んだ方にある。それだって貴重な経験であるが、飲める物を提供した側には責任は無い。

 ところが「うちの子供がお腹を壊してしまったのは、アンタの家に置いてあったジュースを全部飲んでしまったからでアンタのせいだ。」と言って怒鳴り込んでくる親が多い。

 企業組織の中でも「貴重な情報をイントラネットで提供すると悪用する人間が出るからやらんほうが良い。個人に情報発信を任せると何を発信するか判らないから、止めさせたほうが良い。」と主張する人間がいる。ジュースのおばさんと同じ論理である。

 それほど信用できないならば、全員クビにすれば良いのに・・。そして貴方だけが残った・・・・。ヒユュ〜ッ(空っ風の音)

 要は、使う側・飲む側の品性の問題である。

掲載2000/02/20