働く

 ごく当たり前の言葉。小学校の3年生くらいで学ぶ言葉である。何を今更とは思うのだが、漢字の書き方を話し言葉で説明できる人は意外と少ない・・・?

 8年ほど前、札幌で新入社員研修の際にこの質問をすると必ずと言って良いほど、「人が動くと書きま〜す!」と自信を持って回答されます。広辞苑にも「@うごく、C人のために奔走する」とありますから間違いではないのでしょうが、筆者は絶対に間違った説明の仕方だと思うのです。

 「人が動く」のが働くことならば、寝返りを打っても鼻くそをほじっても(ちっと汚いか・・・反省)、働いていることになってしまいます。

 漢字が中国で発明されたことを思い出せば、縦文字だったはずで、本当の書き方は「人が重ねる力を」のこと。漢文の返り点を入れて考えると解かるように、縦に書かれた文章が1文字に集約されたと思うのです。

 即ち人間が持つことの許された様々な力を、自分とその他の多くの人々の為に積み重ね、育むことだと思うのです。

 その力とは、「知力、体力、判断力、空想力、想像力、説得力、持続力、財力、政治力、交渉力、読解力、組織力、抵抗力、分析力、精力、重力、視力、脚力、腕力、戦力、魅力、学力、予知能力、気力、・・・・・」。

 様々な「力」の付く言葉があります。「無気力」だって良いかもしれません。人間誰しも気力ばかり持続できるものではないのですから、時には無気力になってみるのも、次の一歩を踏み出すには必要な力です。

 その力を人々が積み重ねることの結果が「働く」ことなのです。

 その力をどれだけ兼ね備えているかによってその人なり、その組織なりの優秀性が現れるものだとは思うものの、全ての「力」を兼ね備えている人はいない。残念ながら一人一人の人間には、ごく限られた分野のごく限られた「力」しか無いのが普通だろう。

 だからこそ人間は謙虚になって、多くの人々・多くの組織と協力し合いながら、自分の出来る部分で汗を流し続けているのだと思う。

 景気が良くなったり給料が上がったりすると、エリート風を撒き散らして自分以外の人や組織を見下したり誹謗したり、或いは傲慢に対応したりするのは、まだ「働く」意味を理解していない幼稚性の高いエセ・エリートだと思います。(そういう人の方が自信有り気に見えて、上司から高い評価を受ける場合もママあるが、神にあらざる人のなせるワザならしょうがない。)

 独善・独裁・傲慢な人がリーダーになった時、その組織がどのような結末を迎えることになったかについては説明するまでもなく、歴史的にも現代の事象においても明解。

 わずかな力しか持たない筆者は「路傍の花の小菊」の気持ちと青白いPASSIONを胸に秘めて、残る人生、コツコツと努力を積み重ねたいと思う。

掲載1999/11/28