PASSION

 激しい感情や熱情或いは情欲という意味もあるが、この場合は物事に対する情熱や熱望、或いは物事に熱中している状態を示す。

 この言葉を初めて聞いたのは1960年代後半のこと。

 安保闘争や大学紛争、或いはベトナムに平和を市民連合やジョーン・バエズ、ドノバン、ビートルズ・・・・etc。

 当時の学生クラブ活動のAIESEC(国際経済商学学生協会)でMIS(Managemnt Information System)を研究した時、現代の情報革命が必ず訪れると確信し期待したものです。

 そして今では、日本経済新聞にさえも「使い物にならない団塊の世代」と揶揄される年代になった我々にも青春があり、そしてその頃のPASSIONはまだ鬱々と心の中に残っているのです。

 現代の経営が傲慢さの仮面を被った拝金主義者の管理の下で、ノルマと偏差値と係数管理の数値を追いかけ始めたときから、日本の社会・経済は大幅におかしくなったと感じてきた。

 社会経済を発展させているのは、あくまでもである。人に対する関心が薄くなればなるほど、社会が、企業が疲弊して行くのは当然の理であろう。

 どのような社会や企業にしたいのか、それを考え行動に移すのは一部のエリートだけに許された或いは与えられた行為ではない。それを履き違えたエセ・エリートがあまりにも多いのではないだろうか。

 路傍の花の「小菊」としては、この辞典をどの程度の忍耐力で継続できるかが、残された青白いPASSIONの量を計る物差しになると考えている。

掲載1999/10/3