リバース・モーゲージ
戦後高度成長時代を生き抜き、2度にわたるバブル経済を経験してきた高齢者層は高い財産形成能力を実現し高い持ち家比率を有している。 一方、都市への生産人口の移動と地域社会の互助制度の崩壊、老人医療保険制度の疲弊、及び核家族化と少子化とがあいまって、老後の介護を自助努力で実現せざるを得なくなっている。 そこで資産価値の高い大都市部の老人世帯の自宅を担保に老後の生活資金を貸し出し、本人の死亡後にその土地・建物を売却して貸し付け金を回収する制度として考え出されたのが、リバース・モーゲージである。 しかし資金の貸し手側、借り手側双方にリスクがあり、あまり利用されていないようである。 資金の貸し手側においては、借り手側である老人の余命期間が見込めず、介助・看護費用がどの程度増大するか見込めない。資金貸付時には貸し手・借り手とも納得していたとしても、介護期間が長期化し資金が費消してしまったからと言って介助を打切る事は社会的に糾弾される可能性が高い。また予想期間内に死亡したとしても貸し金の担保となっている自宅をどのように売却するのかその仕組み如何によっては、相続人からの異議申立てが起こる可能性がある。 一方、借り手側の老人世帯から見ると、所得獲得手段を持たない以上、借りた資金は事実上返済不能であり、正にスッテンテンの状態になることを意味する。 借りた資金で有料老人ホームに入所できたとしても、ホームが倒産する可能性があるし、長寿を全うしたため借入資金が枯渇する可能性も高い。 資金を借入れたのは、不動産の名義人である夫であるのか、夫婦二人であるのかも不明確である。 自宅を妻に生前贈与をしていない限り夫名義になっているのが一般的であるので、不動産の所有名義人であり老後資金の借受人である夫が死亡した場合、その連れ合いの妻の立場は非常に微妙な状況下に置かれる。 この場合、妻は夫の相続人であるので、担保付自宅という財産と大半を老後資金として費消した借入金という負債を相続することになるので、担保不動産の売却価格如何によっては、わずかに残った妻の老後のためのヘソクリ貯金も借金の返済に充当しなければならないことになる。 これでは何のための老人福祉制度か判らなくなる。 老人の自立自助の制度を考えるのであれば、身体が動く限り何らかの生産手段を、身体が動かなくなっても何らかの所得獲得手段を老人層に残すことである。生きる希望を与えてこそ老人福祉と言えるのではないだろうか。 掲載1999/9/19、10/3一部修正 2000年5月21日の日本経済新聞に、都市基盤整備公団が定期借地権で分譲した住宅の購入者が有する敷金・保証金の返還請求権を質権担保にして、金融機関が高齢になった当該住宅購入者に生活資金を融資する「リバース・モーゲージ」案が掲載されていた。 従来の方法よりも融資を受けられやすい仕組ではあるが、当然受けられる融資の限度枠も敷金・保証金の返還請求権の範囲に止まるから少額となっている。自由民主党も「リバース・モーゲージ」の普及を唱えているし、公団の調査でも「リバース・モーゲージ」に興味を持っている住宅購入者が多いようであるから、これからブームになるのかもしれないが、決定的に欠けている視点がある。 それは住み替えによる資産効果を考慮に入れていないことである。長年住みなれた家を離れることは生活環境も変わるから高齢者にとっては苦痛を伴うかもしれないが、僅かな年金収入しかないのに現状の生活水準を維持しようとすることに無理がある。 我が家を所得能力のある若い世代に定期借家権で貸し、自らはその家賃収入以下で居住できる住宅に居住するならば、資産のもつ収益効果が生まれてくるし、若い世代も「遠・狭・高」の苦痛から解放される。しかも老人世帯にとっては自らの資産を手放すことにはならない。 もし老人福祉を主張するならば、1物件に限り不動産賃貸収入に対する所得課税に老人世帯控除制度を設けると良い。 この様に主張すると、「持てる者と持たざる者の税の不公平が起こる。」と主張する人々が出てくる。 話題が逸れるが、少し前にも外形標準課税を巡って日本のリーダーである偉い人が「不公平税制だ。訴訟も辞さない。」と大変な剣幕で主張していたが、税とは政策目的を実現するために導入されるものであり、公平な税などというものは過去有り得た例がなかったと言うことを全く理解していない。大学で何を勉強してきたのだろうと疑ってしまう。お勉強していないから、2度もバブルの苦痛を国民に経験させるハメになる。 過去、最も悪い悪税制は特別土地保有税だと筆者は思っている。この税制は、生まれた時から悪法だった。生まれたのは1973年だが、1969年に遡りその課税対象を定め、なおかつ一行政区域内における保有面積により課税主体を差別したのである。 法人・自然人を問わず人は皆、現在存在する法制下で最適な行動を取ろうとするし、その行為を保障される権利がある。 適用基準を過去に遡ったということは、法の安全保障に対する信頼感を根本的に失わせ、国家的ペテン行為であると言わざるを得ない。また4,999uと5,001uとにどれほどの相違があるのかについても根拠が薄弱である。住宅ローン減税だって僅かな日付の違いで、受けられる者と受けられない者とが出てくる。 このように税制という仕組の目的は「公平」ではなく、政策目的を実現するための「公正」に合致しているかどうかで議論すべきである。 税とはその社会で生活している者がすべからく負担すべきものであるという原則論に経ちかえると、社会資本設備を利用して経済活動を行なう以上、経済計算上の赤字法人であっても納税すべきであり、外形標準課税に反対する先のリーダーはもう一度勉強しなおされた方が、日本国家の将来のためになると思うのは筆者だけだろうか。 話題をもとに戻すと、高齢者が全てボケて要介護老人になるわけではない。大半の老人は亡くなられる半年前までは元気なのである。いつまでも元気でいれるよう生きる希望を与えることが為政者の考えることだと筆者は思う。 このように述べると、「ヤレ、ゲートボールだ。」、「ヤレ、お遊戯だ。」と主張する人が出てくるが、筆者は社会参画の場・家庭参画の場を老人層に確保する施策、参画することによって僅かでも報酬を手に入れることの出来る実存感と充実感を得られる施策が必要だと思っている。 そうでなければ、みんな早くボケて介護保険が破綻しまっせ! 掲載2000/05/21 |