CS・顧客満足
(Customer Sastisfaction)
CS・・!?。 随分以前にGSについて記載したのでGSの印刷誤りではないかと早とちりするほど、日本中にローマ字とカタカナ言葉が蔓延している。しかもその日本語訳の意味だって抽象的で良く解からないのに、誰かが言った言葉を得意げに振りかざす・・、そんな言葉遊びの傾向が企業内部に一層深化しているのではないかと思う今日この頃。
かって経営学では「顧客志向」とか、「消費者志向」とか言っていたように思うが、その概念もアメリカから輸入された概念であった。 「顧客満足」とはどのような過程で生まれてきた言葉なのだろう。 調べると、やはりアメリカが関係する。 品質の良い日本製品の市場席巻に対抗して米国経済を立て直すために、1987年、当時のMalcom Baldrige総務長官が、優れた経営を行なっている企業を表彰したことに遡るらしい。 その手法がTQCと同じように日本でも取り入れられ、1995年に社会経済生産本部が日本経営品質賞として創設した表彰制度が発端である。 日本経営品質賞は、@顧客本位、A独自能力、B社員重視、C社会との調和の四点を基本理念とし、十一の基本的考え方として@クオリティ、Aリーダーシップ、Bプロセス、C「知」と創造の活用、D時間とスピード、Eパートナーシップ、F社会的責任と環境保全、G事実に基づく経営、Hグローバリゼーション、Iフェアネス、Jイノベーションを掲げている。 既にNEC、アサヒビール、リコー、富士ゼロックスなど多数の企業が表彰されている制度であるから権威のある賞であり、筆者のような小市民がとやかく言うものではないことは充分認識しているが、僅か11個の言葉の中に8個もカタカナ言葉が含まれている。 日本人にも解かる日本語で表現できないものだろうかと一人憤慨している。 それはともかくとして、「顧客満足」ではなくて「顧客本位」としている部分は評価できる。「顧客本位」と言った場合、筆者の感覚では、顧客が欲している物やサービスを的確に把握して、自らが顧客の立場で物事を考え当該顧客の必要性に応じて物なりサービスなりを提供できる企業経営の在り様と解釈している。 物やサービスの提供者が顧客の立場で物事を考える、などと言うと不遜な感じを与えるかもしれない。でも、そのような不遜と感じる感覚は、感じた方の立場が顧客から遠のくと遠のいたほど自分本位、上司本位、部門本位、会社本位に思考形態が流れていることに由来して与えるのではないかと筆者は考えています。物やサービスの提供者として消費者や需要者に対する供給者としての圧倒的優位性をより一層強烈に意識していることの裏返しの感覚ではないかと思うのです。 物売りの立場としては買ってもらえなければ経営が成り立たないのだが、販売の前線から離れるにしたがって企業や組織のエゴが前面に押し出され顧客の希望は無視されがちになる。 経営トップが「顧客満足を第一に考えて業務を行なうように」と指示した場合、伝言遊びと同じように末端の現場に至るまでに様々な対応が生まれてくる。 考えてみましょう。 あなたの会社の顧客は何を望んでいるのでしょう。あなたが何をしたときにお客様は満足するのでしょう。 ある人は「物を安く売ること」と言い、ある人は「品質・鮮度」と言い、ある人は「早さ」だと言うかもしれません。 それを聞いたリーダーは、「値札に3割増の値段をつけて『あなた様に限り2割引でご提供します。』と言ったら喜んで買っていくはずだ。」と言うかもしれませんし、「客はパッケージのシールに記載されている日付で鮮度を判断して買うのだから、売れ残った商品はラップを剥がして包装し直し新しい日付のシールに少し安めの値段を付けると喜んで買っていくはずだ。」と言うかもしれません。「早さが勝負なのだから、丼に指が入ったくらいでゴタゴタ言う客はいない。」と言うかもしれません。 このような下品な例示をするまでもなく、読者は全くおかしいと気付かれると思います。でも現実は残念ながら大なり小なり、この種の逸脱したリーダーシップが横行していると思うことがあります。 何がおかしいか・・。それは名も知らぬ顧客が漠然と抱いてくれている貴方や私の組織に対する信用や信頼という重要な本質を全く無視して、目の前のノルマ達成という命題のみに全力を挙げて取りかかることを最も忠実な部下の役目とする現代経営の病が表出されていると思われるからです。お客様に仕えるのではなくて、上司に仕える事を仕事と解釈している人々が圧倒的に多いからです。 と・・、ここまでの文章構成を考えて筆を進めていたら、とんでもない不祥事が飛び込んできた。 某食品会社が外国産牛を国産とし、北海道産を熊本産と偽って売上・補助金を得ていたという不祥事です。 筆者は、この種の大犯罪(筆者が犯罪というのは、詐欺行為を意味しない。多数の社員・その家族・関係する取引先の人々の人生を一夜にして狂わせる重大犯罪を意味する。)は、多くの日本企業が侵す可能性の高い出来事だと思っている。 要領が良いだけで無責任の権化のような人物が重用される社会になっている日本の文化風土にどっぷりと漬かっている人々の目線で今回の不祥事を考えると、交通違反の違反切符を切られたようなものと言えるかもしれません。 今回のような不祥事が発生すると、早速、経営者≒裸のお殿様とお側用人と茶坊主共は、「殿、身分卑しき下々の社員は皆不正を働く人種の集まりでございます。ユメユメ信用してはなりませぬ。此度の事故は企業のリスク管理の在り様が問題でございまするので、お膝元のリスク管理部門をもっと強化しなければなりませぬ。」と、お茶をズルズルと啜りながら声高に大奥で談笑している姿が目に浮かんでくる。 そしていざ不祥事が発生すると「センター長が(会社の業績をムニュムニュするが為に)独断で行なったもので、ボクチャンは知らなかったんだも〜ん。」と弁解し、「リスク管理を担当する部門の無能な○○部長の社内監視体制が甘いからこの様な不始末が発生したのでございます。」と他人の所為にし、「会社の秘密をばらしたのは誰か犯人を探し出せ!」と自らの違法行為は棚に上げて江戸時代の五人組制度よろしく、良心を持った社員を炙り出して血祭りにしようとする。 しかし良く考えて見ると、「親の背を見て子供は育つ」というが、ゴマスリ部下に囲まれて同僚を蹴落とし要領良く熨し上がった人々がその企業のトップ層を占めている限り、その会社の社員はミ・ン・ナ、それを真似ることになる。 従って、良心を持った社員は沈黙を守り、無能と蔑まれようともそのような輩の手足としては「とても使いものにならない」と評価される立場に身を置くことによって消極的遵法精神を保持することになる。 「顧客満足」、「顧客本位」・・心地良く響く言葉は誰でも言える。しかしその言葉を聞いた人は、その言葉を口にした恐れ多きカシコキ御方の過去の言動と今聞いた心地良い言葉とを鋭敏に照らし合わせ、本音で発言しているのか、建前で発言しているのか、はたまた組織内部の競争相手を蹴落とすために発言しているのか、その意図を瞬時に見通そうとするものである。 その言葉が、建前と本音を使い分けているリーダーの言葉であればその人の下にいる人々は「客など屁の位」と思う人々で占めらているであろうし、「訳の解からん下品な社員の行く末を慮るよりも、ボクチャンが今夜行く料亭の酌婦の機嫌取りの方こそ大事。」と思う経営幹部が多数を占めることになる。そして自分の商品を売り付けるためには迷惑メールや迷惑電話を平然とかけてくる詐欺まがいのナンデモアリの企業が多くなるのである。 一方「信用第一」を本気で追求しようとしているリーダーがいる企業では、顧客におもねることなく、時空を超えた長い取引の過程の下に「最大の顧客満足をそのお客様に実感して頂けるに違いない。」と中々認めてもらえない努力をコツコツと職人気質で積み重ねているものである。 ・・う〜む・・。せっかくここまで読んで頂いたのにごめんなさい。 やっぱりテーマが難しかったです。もう少し良く考えて将来追記してみたいと思います。 掲載2002/02/11、一部修正2002/02/21 |