心の経営
2002年に「顧客満足」を書いた時、「将来追記してみたい」と宣言したものの難しいテーマで筆が進まず6年が経過してしまいました。その間筆者も色々な事象に遭遇し、そしてあの時に問題と感じた社会現象が、益々狂気を帯びて破滅への道へと、ばく進し続けている様子を見ると、今ここで、心ある同志によっていくらかでも「まともな社会」に軌道修正できるならばとの願いを強くするのは身分をわきまえない独り善がりの思いなのでしょうか?。 定年延長の恩情を受け、社会人余命千数百日余りの身となった者として、お世話になった方々に何らかの形で感謝の気持ちを伝え、次代を歩み続ける若き志ある人々に何らかのメッセージを残したいとの想いが筆者を駆り立てています。 書棚に1冊の古ぼけた本がある。もう30年も前の昭和54年に発刊された本である。執筆者は社団法人公開経営指導協会の初代理事長であった喜多村実先生、書名はそのものずばりの「心の経営」である。 喜多村先生の残された言葉のいくつかは、同協会のホームページに掲載されているので参考にされることをお勧めしたい。 先生との出会いはオイルショックが日本全土に押し寄せ、その後長く苦しい不況の始まりとなる昭和48年だった。 当時、新入2年目の若造だった私はある町の開発事業に携わることになった。その仕事は既存の駅を580m移動させることが都市計画決定されており、駅移転を組入れることを前提としていた。 どんな片田舎であっても「駅」前には何軒かの商店があり、地域の住民の生活を支え生業を営んでいるものである。その駅が580mも移動するということは、如何にお国のため都市計画事業のためとはいえ、それらの商店にとっては死活問題になる。 しかし現代ほどの権利主張はしない時代、暗黒の経営を行っている家内業的零細商店にとっては、都市計画に反対することは地域住民に叛旗を掲げるに等しく、さりとて時の流れの為すがままに身を委ねたのでは、その先の将来は目に見えている。 そんな時に公開経営指導協会の存在を知った私は、銀座にある指導協会の事務所に飛び込んだ。応対してくれた課長さんにワーワー言った記憶がある。よほど私の声が大きかったのだろうか? フッと喜多村先生が打合せコーナーに顔を出され、「どうされました?」 私「駅が動くのです。地元の商店にとって大変なことになります。商店の経営基盤は弱いです。お金も知恵も有りません。でも今から勉強を始めたら駅が移転する頃には、ショッピング・センターを経営できるような商店に生まれ変わる可能性があります。是非地元の小商店の経営指導をして頂けないでしょうか。お支払できるものは、出張交通費と日当程度のお金しかありません。常識はずれだと思いますが、是非とも助けて頂けないでしょうか。」・・・ 喜多村先生は暫く考えて仰られました。「その場所を見てみましょう。案内して頂けますか?」 後日、先生を案内して現地を視察して頂き、地元の小売商店主の方々とも話をして頂きました。商店主の方々は早速「商店近代化研究会」を発足させ、指導協会から本邦一流の経営コンサルタントを招聘して経営近代化の勉強会を開催したのです。 帳簿の付け方から接客技術、果ては経営分析の手法まで、仕事で疲れた眠い目を擦りながら先生方の講和を聞き、店に戻っては裸電球の下で復習・予習を繰り返し、全国の先進的商業施設の視察見学会も年に2回は開催しました。 年商数千万円の弱小商店にとって、それらの勉強の為に出費した月額数万円の会費負担は決して軽くはなかったと思います。でも皆、目が輝いていました。将来の構想に成算が有ったわけではありません。むしろ不安の方が大きかったと今でも思っています。でも戦後復興の焼け跡の中で見せた少年の目の輝きのように輝いていたのです。 やがて都市計画どおり駅が移転しました。そして、彼らは売場面積1万uを超える地元主導型ショッピング・センターを開設することになったのです。それは喜多村先生にお会いしてちょうど10年目の年でした。 当時のリーダーの一人が言います。「天の時、地の利、人の和。自分の道に精一杯生きること。」 精一杯努力しても報われないことの方が多いと思います。それを喜多村先生は「天に貸し越せ」と仰られました。 しかしその後、流通業界は大きな荒波に漕ぎ出すこととなった。「心の経営」に紹介されている小売店は大きく変革することを余儀なくされたのである。著書で紹介されているベニマルはヨークベニマルに、千葉扇屋はイオン・グループに、小網屋は2001年倒産し、セルフハトヤ・ヤマト小林はニチイ→マイカル→イオン・グループへと変遷し、当時と変わらなかったのは、いづみや=イズミヤ1社となっている。 昭和50年代当時、先の商店主達と一緒に視察で訪れた「桑名パル」は役員の不祥事が原因で平成9年に倒産・閉鎖し、平成17年に私が旅行で訪れた時には再々開発事業が進められていた。 あれから30年、現代の官・民の指導者層・中間指導者層は何を考え何を目指して日々の営みを積み重ね、か弱き人々を導こうとしているのだろうか。そしてか弱きわたしもあなたもこの世に何を残して旅立とうとしているのであろうか。墓石に名前が彫られることだけで満足するつもりで生きて来たのであろうか。むしろそれで満足すべきなのかもしれない・・・が。 小売業関係者に限らず全ての業界において、時代の荒波に翻弄され、人生設計に大きな修正を加えざるを得なくなった社員や取引先やその家族の数は、何十万人どころか、何百万人にも何千万人にも達しているに違いない。 いかに小規模な会社の社長であっても、一人でも社員を雇うとその社員と家族の人生を一時的にしろ預ることになる。己の経営判断の適否は、即それらの人々の人生に関わるのである。経営者として抱くその恐怖心、苦痛は大変なものがあるであろうと同情している。多分、筆者などは孤独感に苛まれ、発狂してしまうに違いない。だから日々、心の中の神仏に己の判断の誤りの無いことを祈願しているのだろうと思う。 しかるに現実は、失われた十数年の間にカタカナ言葉が多用されるようになり、順風満帆で無菌状態で培養され、神をも畏れず叱られたこともない人々が指導層を占めるようになると、己は不合理や理不尽に巻き込まれることの無い安全地帯にいることをこれ幸いにコーポレートガバナンスだか、グローバル・スタンダードだか、コンプライアンスだか、様々なカタカナ言葉を多用して聴衆を煙に巻こうとする輩が闊歩する時代となっている。 日本病は完治するどころか、益々陰湿に悪化する傾向を強めていると思うのは筆者だけだろうか。 もう一度、原点回帰するために喜多村先生の言葉を紹介したいと思う。喜多村先生曰く。 心の経営とは人づくりの経営であり、人間尊重の経営であります。人間一人一人の持つその考える能力、そしてその持ち味を生かし相互信頼と協力により総合力を発揮しようとする経営であります。 掲載2008/06/15 |