学習棄却
学習放棄や不登校。何となく現代の教育問題みたいであるがそうではない。 かって時代の革命期には常に過去の学習を否定するプロパガンダが横行した。 秦の時代の焚書坑儒、毛沢東の時代、或いは70年安保闘争時代の「書を捨てて街へ出よう。」など、過去の遺産を廃棄する運動が革命期には必ず起こる。 過去の遺産の否定の上に革命が成立するという論理で唱えられているが、何をバカな破壊的なことを言うのかと思ったのは筆者一人ではないだろう。 現代。学習放棄や不登校に、革命期の主体性やPASSIONを感じられないのは残念である。 「失敗は成功の母」という。何故失敗が成功の母になりうるかというと失敗することによって学習し経験を積んで更なる人生の挑戦に役立つから。「失敗という言葉は経験という意味です。」 それではその逆はどうなるでしょう。 「成功は失敗の父」ということになる。父親である筆者には少々不満であるが、やむを得ない例えか? 過去の成功体験が邪魔して、新しい知識の習得や新しい事態への柔軟な対応を妨げるというのである。 ナレッジ・マネジメントでは、知識の共同化を図る必要性を唱えながらも、過去の、時代にそぐわない形式知や暗黙知はいったん捨て去り、真摯な目で現実を直視し学習する必要があるとする。 もっともな事で、人間が作った法律・制度であるにもかかわらず、それを金科玉条のように踏襲しようとする輩はどこにでもいる。そうすることが自分の身を守る術であることを知っているからである。 そのため変化の激しい時代には対応できなくなってしまう制度疲労という現象が現れる。この現象は何も官僚組織のみに起こっていることではなくて、日本のあらゆる組織に蔓延っている現象である。 過去の学習結果や成功体験を捨て去る必要は無い。大切なことは、常にそれらの呪縛から自由な人間でいられ続けられるかどうかだろう。 掲載2000/02/27 |