知識の共同化
ドックイヤーと言うよりは、ラットイヤーと言うほうが相応しい速さでIT(情報技術)革命が進行している知本主義の現代にあって、如何に素早く必要とする適切な情報・知識を集積するかが重要なマネジメント力になりつつある。 富を持てるものは益々富を集積するのが資本主義の特性であるならば、知本主義の時代は、知識を持てるものが益々知識を集積することになる可能性が高い。 勿論現代においては社会福祉制度が充実しているのと同じように、知本主義の時代になってもインターネットのポータルサイトが様々な検索エンジンを私達に提供し、求めさえすればそれなりの情報・知識を誰もが手に入れることができるようにはなっている。 しかしながら、そこで提供されている情報・知識はあくまでもポータル(Portal=入口・玄関)であって、それらの知識をいくら集めても核心的部分にはなかなか到達しないものである。 ナレッジ・マネジメント的に表現するならば、インターネットの世界に溢れている様々な情報は形式知であって、それをいくら集めてみたところでその組織が必要としているものにはなり得ない。組織が必要としている情報に加工しなおす必要がある。 脳の神経細胞の仕組を思い出せば理解できるのだが、いくら沢山の神経細胞が詰まっていても個々の神経細胞が独立していたのでは何の役にも立たないただの細胞の塊であって、それらの神経細胞がシナプス(神経突起)を伸ばして他の神経細胞と結びつきネットワークを形成することによって、初めて記憶なり個性なりが形成される。 これと同じように企業活動においても、優れた知識を持っている従業員が如何に沢山いようとも、それを単体で活動させていたのでは何の役にも立たない。 従来はその弱点を補完するために、同僚・仲間・上司・部下・根回し等様々な人的ネットワークを駆使して、情報の共有化と活用を図ってきたのである。そうすることによって全体が良くなることを実感として認識できる組織の大きさであったためである。 ところが、組織が巨大化してフィルターとも言うべき中間管理組織が形成されると、やがてそこで繰り広げられるネットワークの行動パターンは微小な範囲に限定された閉鎖的会員制サロンと化してしまう傾向が強くなる。 時間と空間を制限することによって、会員制サロンに入会が認められた者だけが我が世の春を謳歌できる歪な構造が企業組織の中に形成されて行く。しかも手におえない事には、トップマネジメント層自体が自分が必要とする知識を集積している部門なり個人なりを掌握できなくなってしまうことだ。 このようなサロンが形成されると、他人から得た情報を我先に報告して自分の手柄にしようとする輩が輩出する一方において、手柄を横取りされて貧乏籤を引かされる人間が数倍の規模で企業組織の内部に蓄積される。 そのようになると自らが有する知識や情報や知恵を滅多なことでは他人に知らせないようになる。自らが苦労して蓄積した知識をタダでは提供しない、損はしたくない、同じ苦労を味合わせたいと思う人間が多数派を占めるようになる。 組織内部で知識が共同化されないために、ある問題を解決しようとすると担当者はその都度一から勉強しなおさねばならなくなる。 これが大企業病となる原因の一つと筆者は考える。 企業組織が直面する問題は、過去にも発生し、将来も発生する可能性の高いものが多い。 その時点の担当者にとっては初めての経験であっても、永い企業活動においては日常茶飯事的に発生している問題がかなりの部分を占めているのが実体であろう。何故なら天変・異変が頻繁に起こったのでは企業は潰れてしまう。潰れないということは、変化に対応する何らかの知恵がその企業内部で活かされているということになる。 ということは、先輩達の経験や知恵、或いはビジネスの仕方としての企業文化や埋設知は、企業活動を迅速に展開する上で非常に有効な知識となり得るということを示している。 ナレッジ・マネジメントの手法が一つの解決手段を提供してくれるのではあるが、それを普及させうる前提としてはサロン政治やお側用人制度や茶坊主組織を排除しようとする決意が殿に必要となる。 ナレッジ・マネジメントはあくまでも知識の共同化の一手段であることを忘れてはならない。 パソコンのネットワーク等の情報技術基盤を如何に充実させたところで、人と人とが直接Face to Faceで情報交換できる仕組の中で共同化される知識と知恵には質と量の両面で敵わないからである。 徒弟制度は、熟練者から未熟練者への知識の転移効果が優れて高い重要な仕組であって、今流行のフラット組織では企業活動として最も大切な暗黙知や埋設知を共有化することは出来ないと認識すべきであろう。 知識を共同化することによって、誰もが生産性が高まったと実感できるようにするためには、構成員の全員がその保有する知識を公開する企業文化の形成が不可欠であり、文化の形成の過程においては知識公開者に対する報奨制度やポイント制度(公開した知識のビット数に応じてインターネットへのアクセス時間を与える。)、或いは企業内部における知識市場制度を導入する必要があると筆者は考える。 そのような制度の改変がなされることによって初めて「惰眠を貪る組織」は「学習する組織」への再生を果たすことができると考える。 掲載2000/02/20 |