学習する組織

 「学習する組織」・・・?。なんだそれは!。

 「学習しない組織が過去にあったのか?」という疑問が先ず最初に沸いてきた。しかし良く考えてみると結構有りそうである。

 過去何度も諍いを起こして戦争し、過去何度も不動産でひどい目にあったのに、再びバブルで踊り出す。「人間とは忘却の動物なり。」と誰かが言っていたように思うが、過去の教訓がなかなか活かされない。

 どんなに立派なマニュアルを作っても、3年も経つと再び新しいマニュアル作りに挑戦しようとする。全くもって学習していないではないかと慨嘆する学者・コンサルタントの言い分も満更ピントが外れているわけではない。

 しかし過去、学者先生達のプロパガンダを受け入れて、OJT活動だ、やれTQC活動だ、マニュアル作りだ、知的生産の技術だ、いやいやKJ法だ、エキスパート・システムだと、やってきたのに、今になってみると「現代のように変化の激しい時代には静的な対応では不充分だ。」とおっしゃられる。現代は機動性のある組織、学習効率を高める組織づくりが必要であるとの主張である。

 変化の激しくなかった時代が過去3年でも続いたことがあっただろうか?常に変化の時代だったと記憶する。

 商売の原点、経営の原点を見ないで、本を売りつけるための表面的宣伝文句はもう止めにしたら、と言いたい。

 現代の経済屋の最も悪いところは、グローバルスタンダードだか、ガソリンスタンドだか知らないが、やたら米国の経営概念を最上のものとして吹聴する性癖が強いことである。

 グローバルスタンダードについては、近い内に考えを整理しようと思っているが、日本的経営の優れているところ、米国の経営が日本的手法を採用せざるを得なかった米国国民性の危機的状況について、全くといって良いほど関心を示さず、筆者のような下々の者に教えようとはしない。

 日本では忘れ去られたCI活動をなぜIBMは展開したのか、なぜTQC活動を行なわざるを得なかったのか、何故資産の流動化を行なわざるを得なかったのか、何故リストラが出来たのか、なぜ米国で終身雇用制を採用する企業が増え初めているのか、なぜ日本では見向きもされない第三セクター方式を英国ではPPPとして採用しようとしているのか・・・。

 それらの時代背景、国民性、社会背景etcを一切ベールの向こうに押し込んで、「学習する組織」になるためには、情報の共有化が必要だと言われても、「何を言ってるの〜?」としか言えない。

 かって日本の企業人は情報を社員みんなで共有し、組織の為に活用し続けてきたと筆者は思っている。だからこそ戦後の奇跡の復興が成し遂げられたのである。

 その時の日本人は、明確な目標を持ち、軍隊的規律と居酒屋的コミュニケーションと家族的信頼の下で情報を共有し、学習しつづけたのだ。

 その日本人が突然幼稚園生のレベルになってしまったというのであれば、その原因に個人主義の台頭と、所得の向上と、家庭も含めた戦後教育の失敗を挙げるべきであり、その部分の改善から手をつける必要がある。

 終身雇用制度の終焉と能力査定主義の台頭を本気で推し進めようと考えるのであれば、「学習する組織」などと虫の良いことを経営者は考えるべきではない。

 自ら勝ち得た知識を他人に無償で利用されたのでは、いつまで経っても浮かばれないから、知り得た情報は極力自分一人、乃至は同盟者だけのものにし、その果実も自分一人のものにしたいと考える人種が増えるからである。

 要は、自ら獲得したか、会社から与えられたか、人から盗んだかは問わず、一切の知識を自分一人のものにし、それを開示するときには常に報酬を要求する人種が会社内に蔓延すると言うことである。既にそういう人間が多くなりつつあるが・・。

 現代の経営者は、そのような社会にしたいと本気で考えているのであろうか?

 もしそうであるならば、いま最も学習すべき人間は、下々の社員ではなくて、経営者本人であることを強く肝に銘じておくべきだろう。

掲載2000/01/10

 学習する組織となるためには、その組織の構成員全員がその持てる知識の共同化に目覚めることである。それによって知識レベルの高い生産性が実現できることを認識できるか否かにかかっている。Vintage理論の生産関数が上方にシフトできる職場環境・企業文化を形成する必要がある。

掲載2000/02/27