日本病
(Nipponensis 日本原産種)
2003年元旦。テンキセイロウナレドナミタカシ。 昨年は前と後に居る外道の連中にぼてくりまわされながらも、何人かの同志と温かい理解者に恵まれて何とか新年を迎えられたのだが、元旦早々何とも刺激的な言葉が日本経済新聞の第一面を飾っていた。その連載も15回で昨日1月18日に終わったので、読まれた読者も多いと思う。 「ニッポネンシス、日本病を断つ」である。 筆者もこれまで、企業人や単数形社会や道失社会やCS等などについて触れてきたので、同じ想いの人々が沢山いるのだと勇気づけられた部分がある。そこで新聞記事がチリ紙交換に出される前に、「日本病を断つ・取材班」が書いている印象に残ったいくつかのキーワードを抜き出してみることにした。 前例主義、硬直性、希薄な危機意識、先送り主義、技術の持ち腐れ、きれいな言葉、実行力が無い、会社の机にかじりつく中高年、寄生、危機の教訓、他人まかせ、当事者に都合のいい数字、逆算、形式の優先、失敗学会、違法行為、黙認する社員、信頼維持、防御を欠いた経営、不祥事、実力主義、年功序列、徹底的に話し合う、過去の成功に安住、市民発の柔らかな発想、リスク過敏、思考する癖、・・・ そして最終回で堺屋太一の言葉を引用して「(教育制度の)仕組をかいくぐった試験エリートが官僚や銀行経営者になった。バブル後、彼らに決断を避ける知的怠惰が広がり、最近は志も怠惰になった。」と締めくくっている。 キーワードは確かに参考になり、さすがプロの文章と驚嘆するものの、必ずしも納得の出来る文章ばかりではなかったと感じたのは筆者だけだろうか。どこか自虐的で、表層的で、揶揄的で、独善的で、新聞記事のタイトルとは裏腹に明日への気力が萎えてしまうように感じたのは、言葉が羅列されているだけと感じたためかもしれない。 或いは日本病の原因を見極めずに、一部の(・・?。かなりかもしれないが)官僚や経営者、或いはか弱い我が中高年層の責任に転嫁しようとする意図を感じ取ったためかもしれない。 筆者はかって「失敗という言葉は経験という意味だ」と述べた。現代の日本人はあまりにも失敗を恐れすぎるのではないだろうか。 小刀で指を切ってはいけないから鉛筆は鉛筆削り機で削ること。(今時の小学生は鉛筆を見たことが無いかもしれないが・・)かって小学校で児童が怪我をすると、教育熱心で我が子を溺愛する父母が「子供が指を切ったのは先生の安全教育が間違っている所為だ。」と学校に怒鳴り込んで来て、職員会議が開催され、仲間の教員から糾弾され、果てはマスコミに取り上げられ、教育委員会で問題にされて教職を追われた人が、過去何人もいたのではないだろうか。 自分のミスで手を切ったことが無いからその痛みが解からない。その痛みが解からない以上、相手を短刀で刺し殺しても相手の痛みが理解できない。不慣れなことに挑戦する以上、大なり小なり失敗するものであるにも拘わらず、親として何らの教えも知恵も与えていない。「子供の教育とは、全て学校と就職した会社で行なうものだ」と固く信じて、全て他人の所為にする、その精神構造が「日本病」の原因なのではないかと筆者は考えている。 「子供を愛する」という盲目的正当論の前では、教育的指導も懲罰も全て空しい犯罪行為となってしまう。 企業経営においても同様である。全ての失敗は部下になすり付け、僅かな苦難を針小棒大に誇張し、順風満帆で頂点を極めた経営者の下では、要領のいい社員は育っても、本心から会社の将来を担おうと考える社員が育つわけが無いという、至極簡単な真実さえ忘れ去られてしまう。 「フェアネス」という言葉の前では、これまでの努力の積み重ねも、汗も、屈辱も、人間としての信頼関係も、全てを白紙に戻して、どこの誰とも判らない輩を加えた競争入札こそ最上のシステムであると仰られる。 しかも自らが犯した失敗を隠すためには自分の所属する会社が如何ほどの損害を被っていようとも「その事実が明らかになるとコーポレート・ガバナンスの問題になる。」と強弁してその事実を隠し通そうとする。その為には無関係の人間を陥れて罪をなすり付け、自らは「企業活動においてはコンプライアンス(compliance)が大切だ。」とウソぶく。 コ・ン・プ・ラ・イ・ア・ン・ス・・?。・・? 最近の新聞では「法令遵守」と訳するのだそうだが、何とも判らない言葉である。我家に有る唯一の英和辞典「最新コンサイス英和辞典(昭和42年版)」によると、「A従順、屈従、追従」とある。自らが違法行為を賽の河原よろしく積み上げているにも拘わらず「compliance」を標榜するという事は、「我に屈従せよ」、「全国民よ、お追従者になれ」と言っている意味だと、解釈すると、その発言者の意図は良く理解できる。 かくして日本は、一億総宦官・幇間・タイコ持ちになって、金のためには身も心も売り飛ばして金の奴隷になってしまい、見境無くセッセと不良債権の山を築き上げ、犯罪行為を繰り返して無法地帯と化すのである。(ゴメンナサイ。タイコ持ちの人にはとても失礼な譬ですね。タイコ持ちの仕事って本当はスッゴク難しくて素人には出来ない仕事ですよね。) もし日本経済の指導者層が目指す「望ましい社員像」がそのようなものであるならば、「コンプライアンス」ではなくて、「企業活動においてはコンバイン(combine)が大切だ。」と言ってもらえた方が解かり易い。「コンバイン」、即ち「刈り取り機」のことである。取引先や消費者を騙くらかして搾取して、一目散に逃げ惑う企業戦士こそ、現代企業のニューバージョン社員像という事になる。 自らの失敗を分析することは辛いことである。「あの時、こうしていたら・・」、「あの時、もっと勇気があったら・・」、「あの時、もっと大きな声が出せたら・・」、「あの時、あの人に相談できていたら・・」、「あの時、・・」、「あの時、・・」、「あの時、・・」・・ 「だからこれからは、似たような失敗を回避するために、経験を活かして正しい道を探し求めながら前進しよう。」と考える人々が多くならなければ日本病は完治しないのではないだろうか。 この様に書くと必ず物知りげに「弱肉強食の現代資本主義の日本ではそんな甘チャンでは生きて行けない。」と言う輩が現われるものである。確かに強い者が弱い者を食う現実は今に始まったことではなく、大昔から続いてきた歴史上、生物学上の事実である。 しかし獣のライオンでさえ一日中シマウマを食べているわけではない。腹が一杯になれば眼前をシマウマが横切っても襲い掛かることは無い。ましてや1週間に1頭のシマウマを仕留めるかどうかも定かではない。お互いの縄張りをそれとなく認知して、縄張りの中の平和を守ろうとする。 ところが現代日本人においてはその欲望に尽きることが無い。常に獲物を求め、神をも畏れぬ手法を駆使して、手篭めにする。「グローバル・スタンダードの現代日本においては、縄張りなどは違法行為だ」と主張して「自分に出来ないことでも隣の分野に金が有るなら土足で群がる」、自らの分をわきまえずに他人の家のチャブ台(食卓のこと)を引っ掻き回す。これでは獣以下の餓鬼畜生と言われても返す言葉が無いのではないか。 現代経済学の理論的前提は「神の見えざる手」に対する畏怖で成り立っている。アメリカ資本主義の頂点を極めたビル・ゲイツが多額の寄付をするのは節税対策のためばかりではない。贖罪、神を畏れる精神運動の現われと考える。ならば現代日本人もかっての日本人の様に、神を敬い畏れる精神構造と行動形態を再構築する必要がありはしないだろうか。 リストラとは、真面目で気の弱い社員の首を切ることではないハズ。先ずは地位と肩書きで世間を睥睨し、お追従部下の甘言に悪乗りして大大大失敗をしでかした指導者にこそ、私財没収、獄門台行きを申し渡すべきなのではないか。そのルールが確立してこそ、下々の者は劇場の観客から現実の実行者として目覚め、ナレッジ・マネジメントを取り入れて様々な「失敗に学び」、自らの行動を律し謙虚になるのではないだろうか。 そして今日、1月26日の日本経済新聞の「春秋欄」に医療漫画「ブラックジャックによろしく」の話題が掲載されていた。筆者は読んだことが無いが大人気らしくて「春秋子」は次のように言う。 (漫画読者が抱いている)「医」への不信と「良心」への希望の反映なのだろうか。・・手術を拒否する両親と、命を生かそうとする熱血医師のせめぎ合いが展開する。・・親の権利とは、犯罪とは、正義とは、・・おいそれとは結論の出ないテーマを巡る双方の激論は、コミュニケーション不在に近い医者と患者の実態からすれば、むしろうらやましいほどだ。・・ 子供の命を奪う親は確かにいるが、その親にしても長く苦しい心の葛藤はあったはず。ましてや普通の親であればそれと同等かそれ以上に、真剣に子供の行く末を考えていることは間違いが無い。 「春秋子」の文章の言葉を、「医」を「経営」に、「良心」を「未来」に、「手術」を「リストラ」に、「両親」を「社員」に、「熱血医師」を「尊敬できる経営者」に、「医者」を「経営者」に、「患者」を「会社」に、置換えて読むならば、「日本病」の処方箋の一部が見つかるかもしれない。 「日本病」の原因物質の一つは、もしかしたら我々自身の内面に存在する問題かもしれない。映画館で赤穂浪士や壬生義士伝や千と千尋の神隠しを見て涙したとしても、それは心の奥底に有る淡い良心が流した涙であって、決して自分のことだとは思わない劇場観客型バーチャルリアリティの世界で活動する日本人においては、当事者としての疑似体験に基づく教訓は体得して来なかったのではないだろうか。 従って知識は有り余るほど持っているのに、失敗の痛みも感じず、経験も無く、知恵も無い。そんなコンピュータのお化けみたいな人間が日本中に蔓延っているのだろうか。 「だって、テレビで水戸黄門を見ても桃太郎侍を見ても、スッゴ〜ク悪いオジチャンがまた出てきているョ!」と子供が言う。筆者には水戸黄門程度しか番組ストーリーについて行けないのだが、あの番組は子供の教育上極めて宜しくない、悪役は成敗されたのだから二度と視聴者の前に姿を現してはならない、と、とんでもない言いがかりを言いたくなる。 ジョン・レノン風に、 Imagine 「想像してごらん。誰もが生き生きと働いている社会を。皆で努力するときっと実現できると思うでしょう。」 もうすぐ節分です。「オニはそと〜!福は〜内。」、「オニはそと〜!福は〜内。」、「オニはそと〜!福は〜内。」 ここまで読んで頂いた貴方の誠意に感謝して、次のホームページをご紹介します。 電通総研 「日本と日本人の未来を描く―日本病克服の処方箋」 ちばぎん総研 「『日本病』からの脱出」―自立型社会を目指して」 義経伝説 「『日本病』を考える―現代日本人のネガティブな感情―」 道徳科学研究センター 岩田文明 「企業を突然死から救う方法」 掲載2003/01/26 リンク1件追加2003/12/07
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