利他行動
何となく「功徳」に似たような仏教じみた抹香臭い言葉だと思われた読者もおられると思いますが、「社会学」で使用されている言葉です。 多くの動物の行動をつぶさに観察すると、女王蜂と働き蜂と兵隊蜂のように、生まれは同じハチであってもその後の成長過程で階級が形成され、自らの意思に関わらず一方的に女王蜂に尽くす行動を取ることによって集団としての種の保存を図り、自然環境の変化に適用しようとする行動があります。 ミツバチのみならず、アリやアブラムシにも同様の階級と行動形態が見られるそうです。 敵を針で刺すことは自らの命を落とすことにつながる、にも拘わらず自らの運命を知ってか知らずか、外敵が侵入すると兵隊蜂は危険を顧みず勇敢に外敵と戦い戦死します。 兵隊蜂のように自らの命を投げ出して戦うということだけではなく、餌を運んであげたり身の回りの世話をすることも含めて、種の保全のために他者に尽くす行動形態を利他行動と言います。 戦後、豊かになってから日本のサラリーマンは「企業戦士」と言われ続けてきましたから、思い当たる読者も多いかもしれません。勿論、植木等風に「サラリ〜マンはー、気楽な稼業ときたもんだあ〜!」と、世渡り上手に生きてきた人もいるでしょう。人それぞれですから、筆者はどちらが良いと区分するつもりはありません。 しかし日本病が蔓延し、臨終○×○日の瀕死の状態になると、今一度、生物学的観点から企業人としてのあるべき行動形態を理論的に検証しておく必要があるのではないだろうか、と思うようになりました。 そこでバーチャル・リアリティの世界を働かずに動き回っている日本人にも解かり易いように、ゲームの理論を用いて望ましいあるべき企業人の行動形態を検証してみることにしました。 今、世の中に「自分」という人間と「相手」という人間の2人の人間しかいない世界を想定します。「自分」は誠実に行動するかもしれないし、「相手」は裏切るかもしれません。或いはその逆かもしれない。その時、2人の関係はどのようになるでしょう。
この様に整理すると、ゲームの世界が大好きなニューバージョン企業戦士は、「な、そうだろう!誠実に行動するよりも、相手の弱点を虎視眈々と見つけ出して、相手を裏切ってこそ、繁栄できるということが証明されたではないか。みんな!客を騙すことこそ、生き残る道だということが判ったかあ〜。出世したけりゃ、俺を見習えー!」と、絶叫するに違いありません。 誠実な読者は、「彼の言動は少し変だ。」と気付かれたに違いありません。 或いは現代の日本は、「戦略C」を選択しているために日本病から脱出できないでいるのだと、確信したかもしれません。 「借りたお金を期日までに返せないのでもう少し待って欲しい。」と懇願するならまだしも、「無い袖振れるか!取れるものならとってみろ。」と開き直り、優雅に「銀座通い」をしている外道の輩が如何に多かったか、そして自らが犯した失敗を国民に押し付け、不良債権の穴埋めを国民や取引先に強要する、そんな図式が組立てられます。 それらの行動は全て「裏切り」のなせる結末であるということに、何故か気付かないのは、平和ボケした御人好しが多い所為でしょうか。それとも物言わぬ人々でこの社会が構成されている所為でしょうか。それとも大なり小なり「外道の輩」と同じような「裏切り」を自らも犯し続けてきた悔悟の気持ちがある所為でしょうか。 かって或るバンカーから「企業融資は、どれほどの優良企業からの依頼であっても、ホドホドに抑えることが、お互いにとってハッピーになる。」と教えてもらった。「ホドホドに抑える」ことによって借り手は企業努力を積み重ねるが、身をわきまえない多額の借金は取引先を払うに払えない状況に追い込み、最後は破綻に追いやる現実をバンカーの知恵として体得していたからでしょう。 ところが借り手の都合のいい数字遊びを鵜呑みにして多額の融資を行ない、更に行内に貼り出された「融資契約獲得ランキング表」に踊らされて、ノルマ達成のために「押し貸し」(現在闇金融が行なっている多重債務者への押売り貸付)と同様の行為を行なった成績優秀な社員が如何に多いか。 彼らの前では、審査部門の真面目な担当者の慎重論は、会社方針に対する反逆者として血祭りに上げられる。かくしてバフルに突入し、案の定、言葉通りにはじけ散ったのだが、今ではそのような事実さえ忘れ去られようとしている。 それは何故か。その理由は簡単。かっての「成績優秀な社員」が現代の経営幹部の一角を占めている限り、自らが犯した失敗を明らかにしたくないし、明らかになると失脚すると恐れているためである。 日本人の「失敗を認めたくない」という思考傾斜がどのような精神構造によってもたらされるのか、失敗が多くて反省ばかりしている筆者には良く理解できない現象です。 かっての武士道では潔く切腹したし、ヤクザであってもユビを摘めて不義を詫びたものです。 ところが現代日本は、「社員が過ちを犯さないように企業倫理要綱を制定し、業務で失敗しないためにマニュアルを作成して、コーポレートガバナンスを確立することが大切だ。」とばかりに、セッセと書類の山を作り続け始めている。全く懲りない面々が日本経済を動かしているのではないかと思うのは筆者だけだろうか。 バブル(泡)が過ぎたらパルプ(紙)の山に挑戦するニューバージョン企業戦士には、ホトホト呆れるばかり。 世の中、マニュアル通りにコトが進めば、社員も経営者も要らない。リンリ・リンリと言うだけなら、鈴虫の方が心地良い。 誰かが「四半期毎の企業業績を発表することが企業の社会的透明性を高めディスクロージャーになる。」と言うと、先を読めない輩が作った根拠の無い数字を発表したがる。その結果、経理的不正が企業内部に蔓延することの危険性にさえ気付くことが無い。 何故この様に、自らが犯した失敗を認めようとはしないのだろう。何故、自らが犯した失敗を多くの仲間に伝えて、知恵として役立ててもらおうとしないのだろう。何故、失敗を隠した上に更に失敗を重ねるようなことを率先して行なおうとするのだろう。 それは一度として失敗を咎められた事が無く、失敗の痛みも感じたことの無い、無神経な輩が、企業人を構成しているためではないだろうか。 ならば、彼らの失敗を咎め、彼らが失敗の苦痛を感じ、彼らによる失敗の伝承を図る方法を考えたならば、日本病は克服できるに違いないと考える筆者の考えはそれほど荒唐無稽ではないのではないだろうか。 その方法とは、先ほどのゲームの理論を更に次の段階に発展させ、「相手」が過去に何をしたのかを「自分」の組織の知恵として記録に止め、その記憶に基づく「しっぺ返しの戦略」を組立てることです。 一度限りならば「裏切り」は成功するでしょうが、二度とは通じません。一度限りの「裏切り」が自分の生命財産を脅かさず社会通念上許される範囲であるならば、泣き寝入りか交際の拒絶をすれば良いのですが、そうでないならば「裏切った」相手を告訴し、社会的な糾弾を行なうべきです。 そうすることによって外道の輩は適度に駆除され、それを見た外道予備軍はいくらかは「誠実」に生きようとするのではないかと思います。 その為には、ナレッジ・マネジメントの手法を取り入れて、経験させられた痛みを永く組織内部に取り入れ、無垢の手足がそれなりの判断でその経験を活用して行動できる自由性を取り戻すことではないでしょうか。 指先の痛みを脳細胞に記録蓄積して、情報の受益者となった、ほかの細胞がその経験と知恵を利用できるようにするならば、大きな怪我を回避する方向に体が自然に動くようになるのではないでしょうか。 そうでなければドーシツ社会の現代においては「お宅の会社はノー細胞の烏合の衆で御人好しが多いから、赤子の手を捻るよりも簡単に騙すことが出来る。しかも匂いを漂わせると擦り寄って来る虫を抱えているから、少しばかりの餌を与えると見境も無く食らいついてくる。イヤハヤ、お宝、おタカラ。オイチイ、オイチイ。」と詐欺師集団にイワレマッセ。 掲載2003/02/09 一部加筆2003/02/11 |