情報の受益者
かってこのコーナーでIT革命について述べたことがあるが、早いものであれから2年が経とうとしている。この2年間に我々日本人が獲得した情報技術とはどのようなものだったのだろうか。 経営システムの変革は起こったのだろうか。 残念ながらITバブルの崩壊とデフレ・スパイラルと同時多発テロの発生によって急速に不況が深刻化している時代にあっては、萎縮した精神構造が蔓延して当初期待された成果が達成されたとは言い難い。 とはいえ、かってのラッダイト運動の扇動者たちが唱えたほどには自信を持って「ITは不要」と主張する人も少なくなっていることも確かである。 しかし本心では「情報は独り占めしたいので他の人間も情報に接することのできるITは不要」と思い込んでいるのに、世間体を考えて世間の風潮に迎合している人々のなんと多いことであろう。組織が存続するかどうか判らない危機的状況下で多額のシステム開発を伴うIT投資をしてどのような成果と利益が得られるというのだろう。 企業人の机の上には、10年前とは較べ様もないほどの高性能のパソコンが並んでいるが、パソコンのディスクの中には何も入っていない。例え入っていたとしてもガラクタ・データばかり・・。 しかもご丁寧なことに、利用・閲覧できるのは自分と一部の人に限定され、その理由は「秘密だから」、「ほかの人にとっては利用価値がないから。」、「ほかの人に悪用されるから。」、「○○システムの開発が無いと共有できない。」などなど、実に手前勝手な理由で情報の受益者を制限し、問題解決を先送りにする風潮は少しも改まっていない。 自らが保有する情報は極力他人に提供しないように行動する一方で、その費用対効果が必ずしも明確となっているとは言いきれないような多額なシステム開発の必要性を主張することによって問題解決を先送りしようとしている意図が見え隠れすると感じるのは筆者だけであろうか。 筆者は地上における最も優れたシステムとは「人間の脳」だと思っている。時々失敗もするが優れた解析力と予見能力を兼ね備えている。従ってシステム開発にあたっては日頃の企業活動の試行錯誤の結果として抽出された形式知を論理的・合理的に組立てる思考が大切である。 本論に戻ろう。 今筆者は「最も優れたシステムとは人間の脳だ。」と述べたが、人間の個々の脳細胞はそれ単体では有意な活動を行なわない。しかしある一定の細胞の塊となって細胞間で情報の交換がなされるようになると驚くべき働きをする。このことについては読者の方が良くご存知のことと思います。 「驚くべき働き」を何故行なうことができるのでしょう。筆者は次のように考えています。 外界の様々な刺激=情報に対して「細胞単体」では、刺激のあったことを認識できても刺激の意味、即ち情報の分析が充分には出来ません。従って単体細胞はその刺激から逃れようとするか、又は細胞膜を厚くしてFreeze状態に身を置くことによって生命を守ろうとします。 そのような細胞単体での活動を良しとして無批判に受け入れてきたフラット組織論が、日本経済の失われた10年を到来させた元凶であると思うのは筆者だけかもしれません。 しかし良く考えるとフラット組織論は大きな問題を内包していることに気付かれると思います。 組織がフラットであることの本来の主旨は迅速な意志決定と組織構成員の競争意識の昂揚にあるのですが、組織が細分化され単体に近くなればなるほど独自の判断と主体的行動が保証されねばなりません。ある程度の失敗は容認される組織風土も必要になります。ところがその部分については全くと言って良いほど権限の委譲も自由裁量権も与えられていないのです。 そのような状態でフラット組織論を振り回されると、組織内の競争原理だけが顕著となって、隣の組織・隣の同僚は全て自分の生命を危うくする競争相手となり、組織活動の中で得た情報は自らの財産としてよほどのことが無い限り他人には開示しない組織風土が形成されることになります。 隣の組織、隣の同僚と協働して目的を達成しようとする精神構造が消失してしまうのです。そのことは即ち、隣の組織、隣の同僚がいかなる情報を入手し、どのような行動を目指そうとしているかということも判らなくなることを意味します。 従って単体細胞としてはFreeze状態に身を置くことが延命のための賢明な選択肢となります。 フラット組織が駄目であるならば、ピラミッド組織が良いのかというと必ずしもそうではありません。組織の土台が大きく揺らいでいる時代に屋上屋を重ねるような組織を目指しても時代の変化に対応できないことは明らかです。 もっと組織構成員の主体性と自主性が活かされるような組織形態、丁度アメーバーの様に組織という細胞膜の中で活動するものの組織構成体の一部が触手を伸ばしその結果を見て他の構成体がこれに追随することによって組織体そのものの位置が変わり得るような有機的組織に変身する必要があります。 要は組織の在り様が問題なのではなくて、組織活動を可能ならしめる情報の円滑な伝達機能と、権限と責任の委譲の在り様が問題だと考えます。 それではどの様に解決するかというと、筆者はその一つの解決策が個々の単体細胞が獲得した知識の共同化と高度化を図ることができる組織の在り様を模索することに在ると考えます。 情報とは、それ単体では言葉の羅列でしかありません。いかに数多くの情報が発信されていてもそれを受信する主体が無ければ意味をなしません。 インターネットが革命的に支持されているのは、情報の発信者にとって利益があるということよりも、はるかに大きな利益が情報の受信者にもたらされたという事実を直視すべきです。 不況になればなるほど広告(=情報)を発信して商売に結び付けたいという発想が多くなります。eコマースなどがその良い例ですが、情報の受益者は常に受信者であることを忘れた独り善がりの発想で情報を発信してみても多分何らの収益も得られないに違い有りません。 情報の受益者である受信者にとって有益な情報を提供したからといって、受信者が発信者に対してフィーを払ってくれる保証はどこにもないのですから。 むしろ企業活動において大切なことは、企業内部において個々の企業人が収集した情報=知識を企業内部の構成員が自由に活用できる文化風土の形成が必要だと考えます。 企業内部で利用される限り、情報の受益者は企業の構成員であり、情報の内容=コンテンツが受信者にとって有用なものであればあるほど受信者に多くの利益をもたらします。僅か数分で読み終わる文章であっても、データにはそれを作った人の能力と努力と時間が封じ込められていることに受信者は気付く必要があります。 その情報によって受信者が対外的活動を行ない収益機会を獲得するとそのことは即、企業収益の改善に役立ち、直接的には行動した受信者に一部の果実は帰属するでしょうが、回りまわって発信者にも何がしかの利益をもたらすことにつながります。 「ほかの人にとって価値が無い」かどうかは、受信者が決めることであって、発信者が判断すべきことではありません。 「ほかの人に悪用される」かどうかが問題なのではなくて、悪用されるよりもはるかに速い速度で善用しようとする受信者の手に情報が伝達されることの方がはるかに重要です。 「システムの開発が必要」なのではなくて、情報を自発的に発信することを大切に思う企業風土の形成こそ大切な経営戦略なのです。 情報の内容が洗練されすぎると、マニュアル化された形式知のみが溢れて埋設知が受信者に伝わらなくなります。むしろ荒削りな発信者の知識や思いが受信者に伝わる形の方が、受信者に考える機会を与えます。 情報の受信者は常に学習する組織の構成員であることを忘れてはなりませんし、受信者の義務はSECIモデルに見るように知識創造スパイラルを実行に移すことです。 そしてデフレ・スパイラルから脱出する力は、組織構成員一人一人に、そのような自由と自主性と主体性に溢れた情報の受発信環境を提供できた企業だけに与えられるものであることを経営者層は早く気付くべきだと筆者は考えるのです。 なおフラット組織について記述したものとしてインターネットの世界では次のようなページがある。 掲載2002/01/05 |